山田の町の火災 |
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気仙沼とともに山田町は火災の被害をうけた。海岸の石油タンクが流され,火がつき,津波で陸地に運ばれた。
盛岡-宮古-山田-釜石-花巻とを結ぶJR線のうち,宮古と釜石の間は壊滅的な被害を受け,復旧のめどは全くたっていない。山田駅は,津波と火災でホームのコンクリートと,駅の前に立てられた「避難場所」の看板が残されている。あとは焼け野原だったという。コンクリートやアスファルトにも黒いシミが残っている。 |
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山田えきの構内 |
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山田湾 |
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山田湾は北東に開いているが船越湾は南に開いている。田老町と同じく,頑丈な堤防が津波で崩されていた。破損した無数の漁船が浜に集められていた。 |
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堤防の扉 |
防潮堤は村を守れなかった |
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堤防はなくなってしまった |
防波堤も向きが変わった |
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船越公園の瓦礫 |
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山田町立船越小学校 |
船越小学校は取り壊されて,現在では空き地になっている。津波の襲来はやや高台にある小学校も押し寄せた。子どもたちは裏の山に逃げて助かったという。
今回の津波で,石巻の大川小学校のような悲惨な例があるものの,多くの学校が津波の被害から免れた。多くの学校が高台にあったからである。しかし,その高台にあった学校も津波に襲われた。この船越小学校がそうである。海岸には立派な防潮堤がある。それでも道路をはさんで,高台にある小学校まで津波がおしよせた。津波の訓練をおこなっていたとしても,まさかこの高さまで津波がくるとは思わないだろう。 |
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防潮堤から学校を見る |
何もない校庭 |
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山田方向の防潮堤 |
岬につながる防潮堤 |
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船越漁港 |
船越漁港の建物の4階付近まで津波が押し寄せたのか窓ガラスがない。立派な建物なのに船も人もいない。沈降により,海面の上昇で海の圧迫感を感じる。 |
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海面すれすれ |
山田では,漁はまだ行われていない。 |
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