大槌町は津波で役場が全壊した。上加藤 宏暉(かとう こうき)町長と課長クラスを含む職員多数(当時の町職員136人のうち32人)が死亡・行方不明になったことで,大槌町の行政機能は麻痺状態となった。人口の1万5千人のうち14,00名の方がなくなられた。その被害状況は津波による名簿の流出と,行政の麻痺により,なかなか進まなかったという。
 大槌小学校は,大津波警報が発令され全校児童は高台に避難したり,親が迎えに来て学校を離れた。高台に避難した児童は全員無事だったが,親が迎えに来た児童の7名が犠牲となった。
 大槌町の町の東側に,建物の上に漁船が乗った写真でその津波の大きさを物語る場所があった。地域住民の津波を思い出させるのではやく撤去してほしい,という意見と,津波被害の象徴なので,後世に残してほしいと,いう意見とがぶつかった。2012.07.18現在,建物は残っているが漁船は降ろされ解体された。
 
津波の象徴と感情
この山を越えると大槌町。砂浜が地震の沈下でなくなった。
山際は津波の被害はなかった。 このあたりは2階まで,しかし,北側には漁船がのった家がある。津波の高さは複雑である。
役場の裏側
  
大槌町を見渡す高台の墓地から。まだ新しい黒御影のお墓が目についた。