宮古市は三陸のリアス式海岸の北端に位置する。リアス式海岸はプレート境界型地震で沈降してできた海岸である。
 高知県で考えると,プレート境界地震の南海地震によって,室戸岬は隆起するが,高知・宇佐・須崎・宿毛のラインは沈降してリアス式海岸になる。
 三陸海岸の沖合には陸地がないので,東北沖の海溝まで海底が隆起し,三陸一体が沈降しリアス式海岸となる。リアス式海岸は沈降地形のためにきりたった湾が発達する。
 今回の地震で発生した津波はこの湾を襲った。湾が北東に開いているのか,南東に開いているかで津波の高さが異なり,被害が大きく変わった。
 宮古市の市役所から撮影された映像によって,閉伊川(へいがわ)の堤防を越える黒い津波はまるで生き物のような印象があった。
 この映像から宮古市は大きな被害を受け,まだ大変な状況と考えていたが,実際に市内を見ると,閉伊川の堤防は1回だけ超えただけで,市内は津波の被害は大きかったものの,復旧が速く,2012.07.17現在,瓦礫はほとんどかたづいている。空き地のままの状態もあるが,新しい家が建ちはじめている。宮古市が北東に向いた湾だったからかもしれない。
 
浄土ヶ浜
浄土ヶ浜は真っ白な岩(石英粗面岩)でできていた
津波を警戒する石碑。左は流され右が今回たてられた。
浄土ヶ浜に通じる道は津波の被害で,海岸線は使えず
この細い道が唯一の田老町に行く道だったと,
大倉さんが説明してくれた。
浜には宮沢賢治の碑もあった
 
宮古第二中学の校庭は仮設住宅が建設されていた。その南側になぜか吉川英治の碑があった。
 
黒い波
映像より
左が市役所,右が閉伊川
陸橋に下に漁船が吸い込まれていった
漁船が吸い込まれた陸橋の下から 漁船が吸い込まれた陸橋の上から
三社タクシーの光山さんは震災当時写真と現在と
比較して説明してくれた
宮古市内でもまだ被災のままの家もある。
宮古市高浜
宮古から南西方向に位置する高浜。海岸があるところは被害を受けていないところはない。
 
高浜の海岸の堤防
 
宮古運動公園
宮古の瓦礫は町中では片付けられていたが,宮古の南東の運動公園にはまだ瓦礫の仕分け作業が行われていた。ここの瓦礫は東京都に運ばれるらしい。写真撮影は許可がないので撮影できなかった。運転手さん曰く「前はそれは度厳しくなかったのに・・」