2013.03.31
 臼杵石仏は,阿蘇山からの火砕流堆積物の凝灰岩の岸壁に掘られた60余体の摩崖仏群(まがいぶつぐん)である。平安時代後期から鎌倉時代にかけて掘られたいわれるが,誰がどのような目的で創ったのかはっきりしたことはわかっていない。
 凝灰岩は脆く,また参拝者によって自然にできた道が大雨の際は川に変わり石仏を削り取った。現在,多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためである。
 劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落した。中でも,最も有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭は,1980年~1994年3月にかけて14年間,保存修復が完了するまでの間,仏体下の台座に置かれたままであった。修復にあたっては,元の姿に戻すべきという意見と,臼杵のシンボルともなっている像の姿を大きく変えることを憂慮する意見との間で激しい論争が起きたが,仏頭の元の位置への修復が国宝指定の条件として文部省(当時)から提示されたため,最終的に元の位置へ復元されることとなった。 
修復前の大日如来像
 
修復後
  
石仏の谷
 
石仏群入り口から臼杵石仏公園をのぞむ
 
参道
 
阿弥陀三尊像(ホキ石仏第二群第一龕)
 ホキ石仏第二群は,2龕(がん)からなり、第1龕には阿弥陀三尊像が見事な技術で掘り出され,その堂々とした軀体,中尊と両脇侍のそれぞれに異なった豊かな表情を示す。
ホキとは「岸險(がけ)という意味の地名
 
九品の弥陀像(ホキ石仏第二群第二龕)
第2龕は,「九品(くぼん)の阿弥陀」と呼ばれ,比較的小さな仏像が彫られている。
 
如来三尊像(ホキ石仏第一群第二龕)
如来三尊像(ホキ石仏第一群第一龕)
如来三尊像(ホキ石仏第一群第三龕)
地蔵十王像(ホキ石仏第一群第四龕)
 中尊に地蔵菩薩半跏をすえ,冥府にあって亡者の罪を裁き救済する十王像を左右に5体ずつ配置している。錫杖を持たず,右足を座し左足を立てている地蔵菩薩は,古い様式で珍しく,光背の彩色唐草紋も残っている。鎌倉期の作。
  
石造五輪塔
  
山王山石仏
 中央に丈六の如来座像と左右に脇侍の様に如来を刻む三体の如来像で構成されている。仏像の顔は輪郭が丸く,目鼻はこじんまりとして童児のそれをおもわせ,今にも語りかけるような口もとなどは,邪気のない純真無垢な童顔そのもの。通称「隠れ地蔵」と言われている。平安後期頃の作。
 
 
山王山石仏からホキ石仏第一群を望む
 
古園石仏入り口
 
 
古園石仏
 古園石仏群は全13躯で,金剛界大日如来坐像を中心に,その左右にそれぞれ如来像2躯,菩薩像2躯,明王像1躯,天部像1躯を配する。尊像構成の意図には諸説あり,金剛界曼荼羅を表したものとする説もある。
 中尊の大日如来は日本の石仏の中でも最高傑作の一つ。 高く秀でた眉,切れ長の伏し目に端正な顔,ほのかに紅を刷いた唇にあたたかい御心が通う。きわめて端厳な相好であるが,ゆたかな両頬や,ややとがった二十頤,切れ長の伏し目など幽玄で神秘的な雰囲気がただよう。
 制作年代は、平安後期を下らないと言われている。
 
満月寺
仁王像
 腰から下が土に埋もれ,力強い作風であるが,ユーモラスな表情をしている。